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山下大輔
(やましただいすけ)

元プロ野球選手/ 野球解説者/ 神奈川フューチャードリームスGM

静岡市清水区出身、1952年3月5日生まれ。
清水東高校から一般入試で慶應義塾大学に進学し1年時からレギュラー遊撃手として出場。4年時には主将を務めた。
74年、ドラフト1位で大洋に入団。3年目からショートのレギュラーに定着し、以後、ゴールデングラブ賞を8年連続で受賞した。
77年、遊撃手連続守備機会無失策のセリーグ記録、78年同日本記録を樹立した。88年、現役引退。
引退後は横浜、東北楽天でコーチ、03、04年は横浜で監督を務めた。
また09年にはメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャース傘下ルーキーリーグチームの守備コーチ就任。
そして現在、20年BCリーグ神奈川フューチャードリームスのGMに就任(現在は退任)。

主な講演テーマ

「慶応義塾大学からプロへ…数々の苦悩と闘いの日々」

清水東高校一般入試で慶応義塾大学へ入学し1年生からレギュラーとなり4年時では主将も務めた。そしてドラフト1位で横浜ベイスターズに入団。一見輝かしく見える経歴の中には見えない苦悩との闘いの日々。
3年目でレギュラー定着に至ったのも数々の失敗や挫折、そして日々の努力があってこその結果。タイミングも重要。
自身の経験談をもとに、人生のヒントとなるお話をお届けします。

 

「98年、たった1度の日本一を経験して」 

現役生活14年、指導歴14年で優勝経験は1度。
現役時代では経験できなかったが98年一軍ヘッドコーチとして横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)のリーグ優勝と日本一を経験した。当時監督は権藤博氏。権藤監督の横で何を見てきたのか。
チームが如何にして日本一まで上り詰めたか、当時の貴重な話を語ってもらう。
横浜ベイスターズファン必見です。

 

「監督、コーチ経験から得た人材育成において大事な事」

これまで横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)では一軍、二軍監督、ヘッドコーチなど13年務め、また05年楽天イーグルスではヘッドコーチ、二軍監督、球団本部長を務めた。
そして07年メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャース傘下ルーキーリーグチームの守備コーチに就任。
メジャーのチームからのオファーでコーチ契約を結ぶのは、おそらく山下が初となり、これを2年間務めた。
17年には学生野球選手への指導が可能となる学生野球資格回復の適性認定を受ける。20年にはBCリーグ神奈川フューチャードリームスのGMに就任。
プロ野球だけに限らずメジャーリーグのコーチも経験するなど多方面での指導者経験を持つ。
これまでの自身の指導者としての振舞い方、組織での役割、人材育成などの社会にも通じる指導者目線の話をお話します。

経歴

1973年 ドラフト会議にてドラフト1位で大洋ホエールズに入団(現横浜DeNAベイスターズ)
1975年 背番号を1に変更し、遊撃のレギュラーに定着。
1976年 当時のセ・リーグ記録を樹立し、ダイヤモンドグラブ賞を初受賞する。以後、ダイヤモンドグラブ賞は1983年まで8シーズン連続で受賞
1977年 遊撃手連続守備機会無失策のセ・リーグ記録を樹立。さらに翌1978年には自身の記録を上回る日本記録を樹立。
1983年 1000安打達成
1986年 1500試合出場
1988年 現役引退
1993年 横浜ベイスターズ 一軍内野守備コーチ
1997年 横浜ベイスターズ二軍ヘッドコーチ
1998年 横浜ベイスターズ一軍ヘッドコーチ(2000年)
2003年 横浜ベイスターズ監督(-2004年)
2005年 新たに創設された新球団東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任した田尾安志の要請で一軍ヘッドコーチに就任
2006年 楽天イーグルス球団編成本部長(-2007年)
2009年 メジャーリーグ ロサンゼルス・ドジャース傘下ルーキーリーグチームの守備コーチ就任
2014年 横浜DeNAベイスターズ ゼネラルマネージャー補佐に就任
2020年 BCリーグ、神奈川フューチャードリームス ゼネラルマネージャー就任

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