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プロ車いすランナー パラリンピック2大会連続メダリスト 400m、800m、5000m日本記録保持者
1973年12月21日生まれ。大阪府堺市出身、現在は大分市在住。89年 高校1年の時、バイクに乗って事故を起こし、脊髄損傷により突然の車椅子生活となる。
退院後17歳で車椅子レースの世界へ。94年 当時の車いすマラソン世界記録保持者ジム・クナーブの元へ弟子入りを志願。彼の元へホームステイし、レース前のメンタルトレーニングや勝ち方、練習方法など多くの事を学び、アスリートとしての素質を開花させる。
1994年 ボストンマラソンを皮切りに世界各国のレースに出場。
1996年 世界最大の大分国際車いすマラソンで日本人初の総合2位を果たし、名実ともに世界のトップアスリートとなる。2000年 シドニーパラリンピック800mで銀メダルを獲得。
2004年 3月には日本人で初めてのプロアスリートとして独立。
その年に行なわれたアテネパラリンピック800mで銅メダルを獲得し、2大会連続でメダルを獲得する快挙を成し遂げる。
現在、世界各国で年間20回のレースに出場しながら、講演会やトークショーなども積極的に行っている。また、選手育成や車いすレース普及の為、コーチングクリニックを開催、健常者と車いすの融合できるスポーツイベントの開催も行っている。
現役の傍らOBS大分放送でラジオ番組のパーソナリティやTOSテレビ大分のゲストコメンテーターとしても活躍中。
所属はプーマ ジャパン株式会社その他20社近いスポンサーと契約するプロ車いすランナー
「夢に向かって ~0からの出発~」
高校生の時のバイク事故により、一度失いかけた命。
生きてる事に感謝し、新しい人生をやり直そうと思った事で、人との出会いや繋がりも変わり、そこから夢に向かって突き進む事に。
車いすになったとマイナスに考えるのではなく、死んでたはずが助かった!
とプラスに考えたことで開けた第2の車いすの人生。
願い、努力を続ければ夢は叶うという事をお伝えします。
「世界で戦うという事」
最初はリハビリの延長でもあり、単なる趣味として始めた車いすレース。
やがて目の前の目標であるライバルたちに追いつき、国内で上位に入るようになる。
更に欲が出て日本一を目指すためにアメリカ人の世界チャンピオンの元へ弟子入りに。
世界チャンピオンの偉大さ、プロとして活躍してるという事実、勝つために必要なこと、さらには自分と世界チャンピオンとのスケールに違いを知る事に。
世界でトップとして戦うために必要なこととは、ただ強いだけではないという事をお伝えします。
「こころのバリアフリー』
アスリートして世界各国を飛び回る中で、福祉先進国といわれる欧米諸国とアジアや日本との違いは何か
なぜ、障がい者=弱者になってしまうのか。
階段やトイレなどのハード面よりも人の心(周りの健常者だけではなく、障害者自身も含む)ソフト面の方がより重要であるという事をお伝えします。
誰もが普通に気持ち良く暮らせるヒントになればと思います。
プロ車いすランナー
パラリンピック2大会連続メダリスト 400m、800m日本記録保持者
ラジオパーソナリティ
テレビコメンテーター
モチベーショナルスピーカー
2000年 『シドニーパラリンピック』 800m 銀メダル
2002年 『世界選手権リール大会』 800m 銅メダル
2004年 『アテネパラリンピック』 800m 銅メダル
2008年 『北京パラリンピック』 800m 8位入賞
2010年 『広州アジア大会』 800m 銀メダル
2012年 『ロンドンパラリンピック』 800m 6位入賞
2013年 『世界選手権リヨン大会』 800m 4位入賞
2015年 『世界選手権ドーハ大会』 800m 7位入賞
【主な表彰実績】
『大分県民栄誉賞』 (全国車いす駅伝5連覇)
『大分県民栄誉賞』 (パラリンピック2大会連続メダル獲得)
『日出町スポーツ功労賞』 (アテネパラリンピック銅メダル獲得)
『大阪府スポーツ功労賞』 『大阪府民栄誉賞』 『堺市民栄誉賞 内閣総理大臣賞 』
(シドニー/アテネパラリンピックメダル獲得など)
スポーツ観光マイスター
竹田特命大使
元日本身体障害者陸上競技連盟評議委員
パラリンピアンズ協会理事
(社団)スポーツオブハート理事長 など
【主なメディア出演】
OBS大分放送ラジオ 『廣道純のNeverGiveUP!!』 ( パーソナリティ)
TOSテレビ大分 『ゆ~わくワイド』 (レギュラーコメンテーター)
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