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元全日本バレーボール選手
福岡県北九州市出身。
1972年7月12日生まれ。愛知学院大学卒業。元全日本バレーボール選手。
高いブロックが武器のスマートなセンタープレイヤーとして、世界選手権、
ワールドカップでチームに貢献。
惜しくも出場を逃がしたシドニー五輪代表チームのキャプテンとして苦しい時代を超えて、
16年間という長期間、現役を貫きスター選手として存在感を示した。
引退後は指導者としての実績を積み上げながら、一念発起して大学に進学。
名城大学男子バレー部の専任コーチとして大学生の指導育成に専念しつつ、教員免許も獲得。
小学生からママさんまで男女問わず幅広い層を指導できる稀有な指導者として活躍、
東京五輪を見据えて都内の中学生に体育教員として指導中。
日本体育協会バレーボール上級コーチ。日本バレーボール協会発掘育成委員。
「私のバレーボール人生~責任・自覚・誇り~」
中学1年生からバレーボールを始め、全国都道府県対抗中学バレー大会に熊本選抜で出場し、一躍オリンピック有望選手に・・その後扇城高等学校(現・東九州龍谷高等学校)では3年連続インターハイ出場、アジアユース選手権優勝名門日立に入社。ワールドカップで全日本メンバーとなる。2000年には全日本のキャプテンになり、リーダーシップを発揮するが、その道は決して順風満帆とはいかなかった。同年5月に右肘じん帯断裂、シドニー五輪の不出場、日立の廃部、移籍をした東洋紡の廃部、と苦汁をなめた。しかし従来のプラス思考と明るさにより、逆風を追い風にして、JTマーヴェラスに移籍後 第12回Vリーグでは 史上初めてブロック決定本数600の大台に乗せた。そして、華やかでモデルのような肢体でコートを飾った江藤直美は、2007年5月黒鷲旗大会を最後に16年間の現役生活を終え、輝かしい歴史と苦々しい経験を糧として新たな道に歩み出した。
中学1年生からバレーボールを始め、全国都道府県対抗中学バレーボール大会に出場し、
一躍オリンピック有望選手に選出。扇城高校(現東九州龍谷高校)時代には春高バレー準優勝、インターハイ3位。
1989年世界ユース選手権3位、アジアユース選手権優勝。
1990年アジアジュニア選手権優勝(サーブ賞受賞)。
1991年世界ジュニア選手権3位となり、高校卒業後、名門日立に入社。
1991年、99年ワールドカップ出場、1994年、98年世界選手権出場。2
2000年には右肘じん帯断裂をおして、シドニー五輪予選に出場するも、惜しくも不出場に。
2001年には日立がまさかの廃部。
翌年移籍先の東洋紡も廃部。
JTマーヴェラスに移籍をしてから 史上初のブロック決定本数600の大台に。
2007年に16年間の華やかな現役時代に終止符を打ち、指導者の道を目指し、愛知県名城大学男子バレーボール部コーチに就任し、
一方で自らも愛知学院大学に進学し、教員免許を取得後卒業。
現在はトップアスリート経験者が中学校で体育の教員を務めるという試みにチャレンジしつつ、
バレーボール界の次世代エリート発掘育成のための役割も担っている。
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