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鳥塚しげき 講演会講師インタビュー

「夏の想い出の曲といえば?」
団塊世代に向けられたそんな街頭インタビューで、毎年必ず上位にランキングされる曲がある。ワイルドワンズの代表曲「想い出の渚」だ。
GSと聞けばガソリンスタンドの略だと自信満々に答え、湘南サウンドといえばサザンだと信じて疑わない輩でも、おそらく一度はこの名曲を口ずさんでいることであろう。今回登場する鳥塚さんは、そんな不朽の名作の作詞を手がけた人物だ。
眼下に横浜の街が広がる丘の上のマンションで、エンブレムのついた粋なジャケットと細身のパンツでキメた鳥塚さんにお会いした。昨年還暦を迎えたGS世代のスターは、今なおスリムで、粋だ。
夏の終わりの横浜で聞いた、夏の終わりを歌った名曲にまつわる話。そして、名曲以後の道のり。その人生の傍らには、いつも幾多のメロディーが流れているのである。

(text:乗松薫、photo:湯山繁)

本当のところ、僕は2,000円で芸能界に売られたんです(笑)

鳥塚しげき──学生時代からアナウンサー志向が強かったのですか?

 

鳥塚しげき:父親がクリーニング業を営んでいて、仕事場にはいつもFEN(極東放送、現AFN(米軍放送))がかかっていたんです。僕が3才ぐらいの頃で、英語の歌を真似て歌っていたと、母親から聞かされました。それが出会いになるのかな。
意識して音楽を聴き始めたのは中学に入ってからで、同じクラスの女の子に恋をしたんですね。その気持ちをラジオから流れてくるポップスが代弁してくれているようで、自分もギターを弾きながら歌ってみたいなと。で、ギターを買ったんですけど、間違えてクラシックギターを買っちゃった(笑)。
念願のフォークギターを手にしたのは、高校生になってからですね。

 

──そして、立教大学の学生時代にワイルドワンズを結成されました

 

鳥塚しげき:学入学当初は軽音楽部でカントリーをやっていたんです。その時に今度はエレキを買いまして。その頃はカントリーが格好よかったんだけど、あまり受けないんですよね。お客さんに。だから本当はカントリーバンドなんだけど、ビートルズの名曲とかベンチャーズとかやり始めて。ツアーに出たり、大きなホールでライブを開いたり、結構派手にやっていましたね。
そして1966年、大学2年の時に軽音楽部のライブのチケットを皆で手分けして売る中で、1年上の先輩が「ちょっと鳥塚、話があるんだけど」って言ってきたんです。話を聞いてみたら、池袋の喫茶店で4人組の高校生にチケットを売りつけたら買ってくれるということになったんだけど、条件があって、そのうちの一人が加瀬邦彦のファンクラブに入っていて、彼が新しいバンドをつくるにあたってギターを弾けて歌える人を探しているから誰か紹介してくれって。そういう人を紹介してくれたら、4枚のチケットを買いましょう、ということになったらしいんです。で、「鳥塚のことがすぐに頭に浮かんだんだ。加瀬邦彦の電話番号を聞いてきたから、お前が電話をしてくれれば、4枚のチケットが売れるんだ」って先輩が僕に言うんですね。ですから僕は、1枚500円、合計2,000円で芸能界に売られたようなもんですよ。
その頃、加瀬邦彦さんというのは超有名な方でしたからね。一度はお会いしたいなと思って、原宿の喫茶店でお会いして感激してたら、「キミの歌を聴きたいから、渡辺プロダクションに行こうよ」ということになって。そして渡辺プロのドアを開けようとしたら、中からなんと加山雄三さんが出てきたんですよ。「君といつまでも」が大ヒット中の加山さんですからね。また感激して。それで中に入って、ギターを弾きながら3曲ほど歌ったら、一緒にやろうと言われたんです。「今度はこういうバンドをつくりたい」という夢を加瀬さんが語ってね。僕が思っていたのと同じ志向だったので、いいなと。で、「是非やらせて下さい」と返事をしたんです。

 

 

 

僕の人生には、二度の大きなターニングポイントがあるんです

鳥塚しげき──そこからとんとん拍子で売れていくわけですよね?

 

鳥塚しげき:そうですね。6月に声がかかって、9月にはもうTVのレギュラーを持ってました。僕は、まったく下積みを経験していないんです(笑)。そして11月にレコードデビューをすることになるんだけど、4人それぞれが歌詞を持ち寄って、たまたま僕がつくったのがいいねとなって完成したのが「想い出の渚」なんです。ところが11月に発売するのに海はないだろってレコード会社の人から言われて、当初は加瀬さんがブルージーンズ時代につくった曲をA面にしようなんて話も出たんですね。だけど僕らは反対して、A面は「想い出の渚」でいくことになった。で、結局ふたを開けてみたら、発売から1週間で10万枚売れちゃったんですけど。
そこから1971年の解散まで、ワイルドワンズとしての5年間を送るわけです。ひょんなきっかけでワイルドワンズの一員になって、「想い出の渚」という曲に出会ってミュージシャンとしての人生を歩み始めた。この頃が僕の人生にとっての最初の大きなターニングポイントですよね。

 

──解散後はNHKのうたのお兄さんとして活躍されます

 

鳥塚しげき:解散してしばらくして、なぜかNHKから「うたのお兄さんになりませんか」というオファーがあって。これはびっくりしましたよね。その頃は、「想い出の渚」のような曲をつくって、もう1回売れよう!みたいなことしか考えていませんでしたから。しかも子供番組ですからね。
よくよく話を聞いてみると、フジテレビのヒットパレードという番組でタイムキーパーをやっていた女性が、その後構成作家になってNHKに出入りするようになって。新しいタイプのうたのお兄さんいないかね、と相談された時に、鳥塚さんがいいと思う、と推薦してくれたらしいんですよね。そういうことを聞くと、自分では気づかないけど僕には子供受けする何らかの要素があるのかなと思って。これにチャレンジするのも、面白いかなと思ったんですね。いわゆる好奇心で。で、わかりました、じゃあやりましょうと承諾して。1つだけ、今月の歌のコーナーというのをつくって、毎月僕に歌をつくらせてくれませんかと。それで生まれたのが「虫虫虫めがねの歌」です。
とっても子供に受けまして、放送直後から反響の電話が鳴り止まないわけですよ。本当に受けているのかどうかを実際に目で見て確認をしたいと思って、渋谷区のとある小学校にひそかに見に行って。廊下から覗いてみたら、番組が始まると、子供たちが「あ!虫めがねだ」と言ってワイワイ騒いでいる。僕の持つ虫めがねに次々と「エンピツ」や「目だま」が大きく映し出され、遂にはSLが逆さまになって爆進して来る映像が映し出されました。すると子供達はみんな立ち上がって、自ら逆さまになって「股めがね」でテレビを見始めたんです。それを見た時、すごく感動してね。子供って、なんて素直に反応するのかなと。 「虫虫虫めがねの歌」から子供の世界が広がって、さらに障害者の世界にまで広がっていくわけです。これが僕の人生にとっての二つ目のターニングポイントですね。

 

 

 

好きな歌で誰かに元気を与えられる。こんな幸せなことはないですよ

鳥塚しげき──そこから障害者に向けたふれあいコンサートを始められます

 

鳥塚しげき:番組が何年か続く中で、実際に子供たちにコンサートで僕が作ったオリジナル子供歌を聴かせたくなって、「ファミリーコンサート」を始めました。このコンサートは大好評で全国各地で開催されました。するとその会場に、障害のある子が来るようになったんですね。終わってから、サイン会をやると、その子の親が「うちの子、鳥塚さんが好きみたい」と。それから、僕が住んでいるマンションにダウン症の子がいて、その子のお母さんが「ダウン症だから時々元気が無くなるんだけど、TVで虫めがねの歌が聴こえると、一緒に歌ってすごく元気になるんですよ」と。自分としては、障害者のために歌って、何かをしているというつもりは無いんだけど、彼らはキャッチするわけですよね。
それからもう一つ。「想い出の渚」の頃からずっと僕のファンだった、ちょっと目の悪い子がいて。その子が、だんだん、全盲になっていくんですよ。やがて彼女は就職するんですが、放射線治療の失敗で顔にケロイドがあるため差別を受けるんですよね。仕事が上手くいかなくて、打ちひしがれていた時があって。そんな時に、街を歩いていたら偶然「想い出の渚」を聴いたと。そうしたらだんだん元気が出てきて、また頑張ろうと思ったという内容の手紙が来たんですね。
この様な流れの中で、自分では気づかないけど、自分という人間は、障害者に音楽の素晴らしさを伝えるという役目を担わされて生かされているのかな、と思うようになって。じゃあ、障害者のためのコンサートをやってみようということになりました。1983年に「ふれあいコンサート」というのを始めて、20年以上続けて、今年の3月に100回記念コンサートを開催しました。ワイルドワンズがゲストでね。その時に、かつて同じマンションに住んでいたダウン症の子も来てくれたし、盲目の彼女も関西から盲導犬と一緒に来てくれました。

 

──これからも音楽を続けていきますか?

 

鳥塚しげき:もちろんです。健常者であれ障害者であれ、僕の音楽を聴いてくれた人達に元気や感動を与えられたら、こんな素敵なことはないですし、何よりも僕自身が、音楽が一番好きなんですよね。音楽をやっている時が最高のひとときなんです。だから体が続く限り音楽を続けていきたいです。
今、加山雄三さんとワイルドワンズで「湘南海物語~『オヤジ達の伝説』」というツアーを組んで全国をまわっているんですけど、加山さんなんか71ですよ。でも、ものすごく声が出るし、とにかくパワフル。加瀬邦彦さんも結構元気だし。僕自身も、少なく見積もっても、あと10年はできると思うんですね。
何よりも、僕にとって音楽は自分らしさを一番発揮できる場所だから。自分らしさを発揮できるものを持っていると、人生が楽しいと思うんですよね。団塊と呼ばれる同世代の人たちにも、是非自分らしさを発揮できるものを見つけてもらって、セカンドライフを大いに楽しんでもらいたいですね。

 

 

 

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