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諏訪貴子 講演会講師インタビュー

Speakers.jpでも人気講師ランキング上位常連の大人気の諏訪貴子さん。そんな諏訪さんは、父親が大切に育ててきた町工場「ダイヤ精機」を32歳で背負うことになったが、今年で社長業20周年を迎えるという。テレビドラマ化もされた池井戸潤原作小説『下町ロケット』でも日本のものづくりを支える町工場が注目されたが、現実は小説よりもドラマティックだ。人材確保、社員教育、リストラなど、男性社会で女性社長としてひとり奮闘し、社員とぶつかり合い、外部からは「親の七光り」「調子に乗るな」と直に罵詈雑言を浴びせられながらも、負けずに会社を導いてきた。ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013大賞(リーダー部門)受賞、2018年~日本郵便取締役、2022年~岸田内閣下での内閣官房「新しい資本主義実現本部」の有識者なども務める。諏訪貴子さんの話からは、日本の中小企業を率いる新しいリーダー像が見えてくる。

(text:高田晶子、photo:遠藤貴也)

エンジニアという男性社会に女性はひとりだけ。 「ダイヤ精機を継ぐのは私しかいない」

――諏訪さんがお父様の会社を継いだのは32歳。若くして社長になられました。「いつかは継ぐだろう」と思いながら育ったのですか?

諏訪貴子 実は私には兄がいたのですが、子どもの頃に白血病で亡くなっています。ですから、口には出さずとも「兄の代わりに生きなきゃ」とはずっと思っていました。本当はデザイナーになりたいという思いもあったのですが、大学は工学部に進み、就職先も大手グループの自動車部品メーカーでのエンジニアを選びました。

 男性ばかり200人の職場で、エンジニアの女性社員は私ひとりでした。勉強は男女関係なく頑張った分だけ知識が得られますが、力や体力は男性にはかなわない。重い鉄などを持たなければいけないなど、かなり過酷でした。勉強すれば女性でもやれると信じて頑張りましたが、性別の違いによる向き不向きがあるのだと痛感しましたね。

 

――結婚・出産を機にその企業を2年間で辞めて、お父様の要請でダイヤ精機に入社されました。

諏訪貴子 同じエンジニアの夫と結婚し、男の子を出産しました。すると父が「でかした!この子を2代目の社長にする」とかなり喜びまして(笑)。父が85歳まで社長業をやれば、息子が20歳になるので、「そこまで頑張る」と言ってました。もし会社を継ぐにしても、私は中継ぎ登板くらいかなと思っていたのですが、今年で社長に就任して20年目になります。こんなに長くやるとは夢にも思っていませんでしたが…。

最初にダイヤ精機に入ったのは、出産後の1998年です。父に「社長秘書をやってくれ」と言われて入社したのですが、総務担当の平社員からスタートしました。そこで私は社員側に立って、コミュニケーションをとり、社内分析を行いました。売り上げに対する人数超過があったので、リストラ案を社長に提出すると、私だけがリストラされてしまったんです。「えっ⁉ なんで!」と思いつつも、社長の判断なので仕方ないと思いました。しかし、辞めて1年後くらいにまた「手伝ってほしい」と要請されて戻ったんです。でも、どうしても採算が合わないのでまたリストラ案を提出したところ、2回目のクビに!

 

――激しい父娘バトルですね(笑)

諏訪貴子 父は家では陽気でひょうきんですが、自分が創業した会社なので、社長としては豪腕でした。会社に入ってから父の様子にビックリしたくらいです。私も自分の信念を曲げたくないから、リストラ案を2回出して、2回リストラされるという羽目に会いました。

 

――そんなことがあったにも関わらず、諏訪さんが社長になった経緯をお教えください。

諏訪貴子 2003年に父の肺がんが発覚しました。5年生存率80%と言われていたので安心していたのですが、がんが骨髄に転移して、あっという間に亡くなってしまいました。社員たちから「全力で支えるから社長になってほしい」と懇願され、悩みに悩んで社長になることを決めました。

私が今までの人生で悩んだのは、この時だけです。選択肢がたくさんあれば、「悩む」のではなく「迷う」です。迷いながらも試行錯誤した結果、どれかを選ぶことができます。でも、社長になるかならないかはGOかNOT GOの2択だったのでかなり悩みました。いろいろな人に相談したけれど、誰も答えを教えてくれませんでした。それくらい自分にとって非常に難しい選択で、自分の人生に関わることなのだと、初めてその決断の重みを知りました。決断したら引き返せないONE WAYなんだと。

女性の顧問弁護士に「やってダメなら土下座する覚悟さえあれば大丈夫」と言われて、吹っ切れた気がしました。とりあえず3年は周りに頼りまくって頑張ろう、うまくいけばラッキー。自分の後悔しない道を進もうと腹を括ったのが32歳のときでした。

 

世界に誇る日本の技術継承のため、 会社を発展させる

――ここで改めて、ダイヤ精機はどのような事業をしている会社ですか?

諏訪貴子 職人を軸とした町工場で、簡単に言うと“鉄の削り屋”です。1ミクロン単位の精度を出せる金属が鉄なのです。皆削り屋としての誇りをもって仕事をしています。

作っている製品は、自動車の部品の寸法を計測するゲージや、部品を適切な位置に誘導・固定する治部などです。世界中の工場で作られる部品の基準となるマスターゲージの製作を任されており、これは超精密な加工技術が必要ですので、職人の手でしか作れません。私が生まれる前から務めている78歳の職人さんもいます。会社としての定年は70歳ですが、希望する方は個人事業主として社内に残ってもらいます。こちらからお願いして残ってもらったりすることもあります。個人事業主以外の社員数は25名ほどで、20~30代が社員の過半数を超える町工場です。

 

――町工場というと、年齢層が高いイメージがありましたが、若い方も集まるんですね。

諏訪貴子 いえいえ、最初は苦労しました。私が2004年に32歳で社長に就任したときには、私より年下は3名しかいませんでした。このままではこの世界に誇る素晴らしい技術を後世に残せないので、人材確保と育成を始めたのですが、ハローワークに求人票を出しても、半年で1~2件しか問い合わせが来ないのです。そこで、プロジェクトチームを立ち上げました。

 

――具体的にどういうことをされたのですか?

諏訪貴子 まずはHPをリニューアルしました。それまでのHPは会社の製品や情報しか載っていなくて、どのような会社なのかがわかりづらかった。求職の際に何が知りたいかといえば、どんな人たちの下で、どんな人たちと働くのかということじゃないかと思い、HPに私の笑顔の写真を散りばめて、社員の集合写真で会社の雰囲気がわかるようにしました。ハローワークからの問い合わせがなぜ少ないのかも原因究明しようと思い、自分でハローワークにも行ってみました。ダイヤ精機を調べたところ、キーワード検索でなかなかヒットしましせん。ですから、自動車関係、自動車部品用ゲージなどと、詳しいキーワードに変更しました。それから、給料を見直し、未経験者可能にするなど、若者の目に留まるように直しました。

 

――女性ならではと言いますか、諏訪さんだからなのかもしれませんが、細やかな配慮ですね。しかも、ハローワークに自分で行ってみるというのも、灯台下暗し的な発想かもしれませんね。

諏訪貴子 私はわからないのが嫌なのです。私が大事にしたのは、「5ゲン主義」という考え方です。「現場に行って、現物を見て、現象を確かめて、原理・原則に立ち返って対処する」という不良が出たときの対処法です。物事には原理・原則があって、そのうえで基本が成り立っている。基本があるから応用ができるという考え方です。なぜ人が集まらないのか、なぜハローワークからの問い合わせが少ないのか、やはり現地に行かないとわからない。検索したけれど、ウチの会社が出てこない。それならどうすればいいか、と考えました。

 

――新入社員たちとは交換日記をすると聞きました。

諏訪貴子 昔は社員に日誌を書いてもらっていたのですが、読んでも内容がつまらなかったので、新入社員の試用期間の1カ月間は交換日記をしようと思いつき、2007年から今に至るまで続けています。人の書いた文字と文章は、人の能力と性格がよくわかります。この人は大雑把、この人は神経質などとわかるので、どの仕事に向いているか適材適所のヒントになります。先輩社員に教えてもらったことのポイントを書き出せない子はそこから教えなきゃいけないですし、交換日記からどんな能力を持っているのかも把握できます。落ち込むと文字が小さくなったり、文章が短くなるので、周りの人に声を掛けてフォローやケアをしてもらいます。負荷をかけるとストレス抱えやすい子、逆に負荷をかけたほうがもっと伸びそうな子などもわかります。交換日記を始めたときに新入社員だった子たちが、今、中堅層のリーダーになり、若手の指導係になっています。自分たちが交換日記をしていたときは「なぜやるのかわからない」「面倒臭い」と思っていたみたいなのですが、当時の交換日記を改めて読んで、書く能力より読み取る能力が大事だと気が付いたようです。それが自分の財産となり、人材育成に役立てられています。

 

社長として孤軍奮闘するなかで見えてきた 「自分は会社のエンジニア」

――男性ばかりの会社で、若くしていきなりの社長業。大変だったことは?

諏訪貴子 20年前は製造業で女性の社長はほとんどいない状況でした。そんななか「ダイヤ精機はまだ32歳の娘が継いだらしい」という情報が回り、すぐに合併の話がきました。味方はお客様と社員だけ。ほかにバックアップしてくれる人はいない状況です。当時の融資先の銀行の支店長から、上から目線で「オマエは頑張らないとさぁ」などと言われたので、ブチ切れました(笑)。銀行とは上下関係ではなく、パートナーでいなければならない。これは対等に持っていかないとまずいと思い、「私が経験なくて若いからといって、オマエと言われる筋合いはありません。しかも、私の経営をあなたはまだ見ていないじゃないですか。半年で結果を出してみせます!」と啖呵を切ったんです。

そこで、いきなりリストラを敢行しました。社員たちはお飾りの社長でよかったのに、いきなり社長の娘がバリバリ経営しだしたもので、年上の職人からの大反発はすごかったですね。本気でぶつかって、大げんかもたくさんしました。でも、1カ月で結果を出しました。

 

――組織としての循環もよくなった。

諏訪貴子 正直、社長就任当初は「社長の仕事とは?」とネットで調べたくらい、何をしたらいいのかわからなかったです。本を読んだり調べたりした結果、「会社のエンジニアになろう」という思いに至りました。不具合が出たらどこを修理するべきか見極めるのがエンジニアです。会社も何か不具合が出た場合に、私が対処すればいいなと。

 

――会社を軌道に乗せ、メディアに取り上げられるなど諏訪社長の手腕が注目されるなかで、社外の同業者などからも嫉妬がすごかったとか?

諏訪貴子 「親の七光り」「女だから目立っているだけ」「調子乗るなよ」など、たくさん悪口は言われました。でも、中学時代にイジメに遭っていた私に父が言ってくれた「人に媚びて仲間に入るより、自分ひとりでも平気と思える強さを持ちなさい」という言葉が、私を救ってくれました。自分の信念さえ持っていれば、何を言われても平気です。どんどん強くなりましたね(笑)。

 

――そんな諏訪社長が行う講演会は、どんなことを心掛けていますか?

諏訪貴子 講演会自体は18年前から始めたのですが、当初は聴講者のアンケートが「つまらない」「内容が薄い」「偉そう」と悪口のオンパレード(笑)。「一生懸命話したのに、なんでこんなことを言われなきゃいけないの!」と悔しくて、アンケートをぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てました。でも、少し冷静になってから「ちょっと待てよ…。なんでつまらないんだろう」とアンケートをもう一度ゴミ箱から拾って、講演会に何が求められているのかを考え直してみました。

講演会では当初、経営手法ばかりを話していました。でも、経営に興味がない人は、最初から聞く気をなくしてしまう、それなら、私の経営の話は一度置いておいて、町工場の女性社長というところを入口に、誰でも聞きやすいようなストーリーに仕立てようと思ったんです。講演会もエンターテインメントのひとつですから、1回は泣かせて、3回は笑ってもらおうと思うようになりました。

 

――今日は諏訪社長のお話は内容もとても面白かったですし、明るく元気でポジティブなお人柄に元気をもらえました!

諏訪貴子 ありがとうございます! 私の講演会を聞く人には元気になってほしいですからね。今は幼稚園から小中高大とさまざまな学校、企業でも女性社員だけだったり、主婦の方向けに講演会をやっていたりと、多種多様なところから講演のご依頼を受けています。年齢、性別、仕事、立場などによって、私の話がすべて当てはまるわけでも響くわけでもないとは思いますが、ひとつでも考え方のヒントや前向きになれるモチベーションなどを持って帰っていただければと思っています。

 

――では、最後に目標や今後の展望を教えてください。

諏訪貴子 会社としての目標は、ダイヤ精機はトップを目指すということです。社員たちも全員が大田区に一軒家を建てられるようにしてあげたいですね。今は社員の40人中3人が一軒家を建てました!

父が志半ばで亡くなってしまったので、父の遺志である中小企業の活性化、昔のように職人さんが輝いている姿を見たいという気持ちもあります。あと、女性経営者として注目していただいたので、私が前に進まないと後進も育たないとは思うのですが、私自身は基本的に目標を立てない主義です。目の前のTO DOリストを作ってこなしていくことはしているのですが、長期のビジョンは持たないようにしています。自分で立てた目標に縛られたくないんですね。社長就任時に「3年は続けよう」という目標を立てて、それを達成したときに、それ以降のモチベーションが保つのが難しくなってしまいます。ですから、巡ってきたチャンスをつかみ取って成長していきたいと思っています。

 

――ありがとうございました。

 

 

 

 

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