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1985年生まれ。栃木県出身。5歳で卓球を始め、仙台育英学園秀光中学校・仙台育英学園高等学校に進学。卒業後ミキハウスに入社。18歳で全日本卓球選手権・女子シングルス初優勝。その後 2007年度から全日本選手権を3連覇達成。通算5度の日本一に輝く。
オリンピックでは2008年北京にて、団体戦4位。2012年ロンドンでは福原愛、石川佳純両選手とともに団体戦で銀メダルを獲得。男女通じて日本卓球史上初の五輪メダリストとなった。
2016年4月の日本リーグ・ビッグトーナメントにて現役引退。
現在は、ミキハウススポーツクラブアドバイザーとして後進の指導に務める傍ら、全国にて講習会、講演会、解説、そして更なる卓球の普及のためスポーツキャスターとしても、活動している。
(text:大橋博之、photo:小野綾子)
平野早矢香 両親はトップ選手ではありませんでしたが、社会人になっても卓球を続けていたんです。私は幼いころから両親の試合に一緒に行ってボールやラケットで遊んでいました。
5歳の頃、私は水泳を習っていたのですが、母に連れられて行った卓球クラブがすごく楽しくて。水泳と卓球の両方は出来ないので、「卓球に飽きたら水泳に戻ろう」という軽い気持ちで始めました。
平野早矢香 まったく思っていなかったそうです。「まさか、こんなふうになるとは」と驚いていました(笑)。もちろん、応援はしてくれていましたが、英才教育ということはありませんでした。
平野早矢香 いやいや、私は高校1年まで個人戦での全国タイトルを取ったことはないんですよ。ロンドンオリンピックで一緒だった福原愛ちゃんとか石川佳純ちゃんは、小学校時代からタイトルを取っていますからね。私は先を行く選手の背中を見て追い付け追い越せという気持ちでやっていました。
平野早矢香 小学校の頃は趣味の延長でした。ただ、小学校2年生で出た全国大会のバンビの部で初めて2位になったとき、「同世代で1位になりたい」と思うようになりました。
平野早矢香 小学2年生の全国大会2位はきっかけではありますが、大きな転機は、仙台育英学園秀光中学校に行くと決めたことです。
私の地元の栃木県は、小学生のクラブチームは強かったのですが、中学高校に強豪校がないため、トップを目指す選手は県外の学校に進学する選手が多いのです。「同世代で1位になる」という目標のため、お誘いがあったこともあり、仙台育英に進学を決めました。
平野早矢香 仙台育英は寮に卓球部の監督と奥さんが一緒に住んで、生活面と卓球指導の両方を見てくれる学校でした。その環境で卓球をしたかったんです。
でも両親は少し反対していましたね。「高校からでもいいんじゃないの?強豪校に行けば当然レギュラーになることも難しいのよ。」と言われましたが、私は中学からそういった環境で勝負しないと日本一にはなれないと思っていました。
両親は最終的に「あなたが決めたことだから自分で責任と覚悟を持っていくのなら」ということで許してくれました。
平野早矢香 今、思うと勇気ある決断だったと思います。それまで洗濯も掃除も自分では満足にしてこなかったのに。ただ、当時は大変だということが分かっていなかったのだと思います(笑)。
「自分が強くなるにはここに行くしかない」という気持ちと、先輩や学校に対する憧れだけでした。
平野早矢香 小学校の卒業文集で「オリンピック選手になりたい」と書いていたのですが、現実的な目標ではなく、「あんなところでプレー出来たらいいな」という単なる憧れでした。
選手としてひとつひとつの目標をクリアして行った先で、オリンピックが現実の目標になりました。
オリンピックは4年に1度。しかも卓球の代表選手は3名という少ない枠です。ハードルは高く、私の卓球人生のなかでもオリンピックに出てメダルを取る、というのは長い時間をかけて準備した大きな挑戦だったと思います。「世界で活躍するために一番良い選択肢は?」と考えてミキハウスに入社しました。
実は、ミキハウスは、仙台育英とライバル関係にあった四天王寺高校卓球部のエリートクラスの選手が行く会社だったんですよ。
平野早矢香 それまで仙台育英からミキハウス卓球部に入社するなんて、考えられないことだったんです。
当然、ミキハウスに仙台育英の先輩はいません。ライバルとして試合をしていた人たちばかりです。
でも、あまり余計なことは考えずに飛び込むことにしました。「自分の目標を達成するためには、ミキハウスに入社するのが一番いい」とシンプルな考えで選択しました。
平野早矢香 そうですね。私は本当に良いタイミングで良い指導者、仲間に恵まれ、良い選択をしてきたと思います。私は出会い運がいいというか、ツイていると思います。
平野早矢香 常に「自分がどこを目指し、何をやりたいか」を考えて来ました。それが厳しい道なのか、楽な道かで判断するのではなく、「自分のやりたいこと、目標があって、それを達成するためにはどこで何をするのが良いか」を選択することだと思います。すると道はおのずと見えて来るのではないでしょうか。
なので、選択する上では、自分が目指す「将来こうなりたい」方向を見定め、その時の自分の気持ちには正直でいたいと思っています。
平野早矢香 「挑戦することが大事」とか「こうしなければいけない」と考えて進んで来たのではなく、「自分が強くなりたい、今まで残せなかった結果に辿り着くこと」を目標にやってきました。
引退した今は、「今まで出来なかったことが出来るようになりたい」とか、「自分が知らなかったことを知識としてインプットしたい」とか、「自分に興味のあるものに触れたい」という気持ちでいます。
引退するとき、母は私が卓球一色の生活だったので、「抜け殻になるのでは?」と心配していたようです。でも、私としては卓球から別のものに目標が変わっただけで、「好きなものを見つけて一生懸命にやる」ということに変わりはありません。
平野早矢香 「平野は凄いポジティブだ」とか「楽観主義だ」といろんな選手を見ている監督やコーチから言われますが、自分ではポジティブとは思っていないんですよ。落ち込むときはすごく落ち込みますし、悩みます。現役中は「どうやれば上手くできるか」で毎日悩んでいた気がします。
平野早矢香 よく「卓球の鬼」と言われますが、実はすごくメンタルが弱いんです。メンタルが弱いから「平野は大事なところで勝てないとか」「いいところまで行くけど難しい」とかよく言われました。
メンタルの強い選手はたくさんいると思います。ただ、諦めないとか、粘り強く最後までとか、やり遂げる気持ちは他の選手よりはあったかなと思います。
平野早矢香 技術や体力は細かく分析するじゃないですか。「フォアハンドはこうした方がいい」とか、「サーブはこの回転をさせた方がいい」とか、具体的に指示されるのに、メンタルだけはなぜか強いとか、弱いとザックリとした扱いになるんです。メンタルにも細かい評価が必要だと思っています。
私は試合前にメンタルが崩れるタイプなんです。試合までの調整期間の段階でメンタルがガタガタになって、泣き出したりするのですが、逆に試合に入ってしまうとそう大きく崩れず比較的安定するのです。だから、「試合までの期間のメンタルをどうコントロールするかを考えればいい」のです。選手によっては逆のパターンもあります。
私の良さは、我慢強さとか、忍耐力。そのことを知っているだけで対応が違ってきます。メンタルがガタガタになっても、「ああ、いつものやつが来たか」みたいな感覚になれます。
──自分のメンタルを知る、ということですね。
平野早矢香 卓球は対人競技です。まず自分を知って、相手を知ってから「何をすればいいか」を考えます。自分自身を理解していない選手は厳しいものがあります。
私は「3分だけやろう」と思って始めたら1時間やっちゃうタイプなんです。だからやり始めることが重要と分かっています。
集中力が続かない人は、時間を区切るとか、割り振りを考えるとか、メンタルをコントロールすれば良いと思うんです。メンタルも含めて、自分の習慣とか、自分のタイプを知っていることがとても重要です。
平野早矢香 2016年のリオデジャネイロオリンピックを目指していたのですが、2014年の世界卓球選手権団体戦で銀メダルを獲得したものの2015年に16歳年下の伊藤美誠選手、平野美宇選手に世界ランキングを抜かされ、9月のランキングで世界19位となったため、3大会連続のオリンピック出場は叶いませんでした。
「次の目標をどうしょう」と考えながらも国内や海外の試合に出場していたのですが、やっぱり、自分の心が燃えるのはオリンピックしかありませんでした。2016年の次は2020年の東京オリンピック。その時私は35歳。卓球は生涯スポーツだと考えているので、プレー自体は出来るとは思いますが、「第一線で活躍できるか?」と考えたら、日本の若手選手を含めた国内レベルと自分の年齢とレベルを思えば、可能性はゼロではないものの、確率は下がります。「その低い確率に私の4年間をかけられるか?」と自問自答したとき「ちょっと難しい」と感じ、引退することにしました。
平野早矢香 ショックは、引退よりリオのオリンピックに出られなかったことの方が大きかったです。
私は普通の選手だったと思いますが、私がここまで来られたのは、夢を見られる性格だったからです。
普通の人なら現実を見て、「こういう問題がある」「この目標は自分のレベルでは難しいかな」と冷静に考えるでしょうが、私はただ、世界一になることだけを目標に、ひたすら突っ走っていました。
それがリオには出られないと分かったとき、はじめて現実に向き合うことになりました。でも、引退を決めたらスカッとしました。それまでは本当に悩みましたけどね。
平野早矢香 そうですね。卓球の世界では小学生や中学生の選手が一般の選手に勝つことがあるので、そのことに対してはずっと向き合ってきました。
でも、慣れるというと変ですが、はじめは年齢や周りの反応を意識せざるを得ないんですけど、そういうことが当たり前になってくるんですね。すると年齢はもちろん、性別すら関係なくなります。「相手に対して自分がどう戦っていくか」というシンプルなところに戻ります。
平野早矢香 いやいや、そんなことなくて。常に葛藤しています(笑)。
平野早矢香 正直、今のようなお仕事をしようと考えていたわけではないんです。引退後はのんびりするつもりでした。「運転免許を取りに行きたいな」くらいの気持ちしかありませんでした。なので、考えてもいなかったお仕事をさせて頂いています。
私は26年間、現役生活を送ってきましたが、卓球界というすごく狭い世界に生きてきました。そんな中でも、他の業界の人と対等に話が出来る人間になりたいと思っていました。引退後コメンテーターや講演のお仕事を頂いた時は正直びっくりしましたが、新たな挑戦 として「やってみよう」と思ったんです。
また、講演会では、オリンピックという誰もが経験できるものではない舞台でプレーをさせてもらったので、その過程で自分が感じたことを多くの人に伝えて行きたいと考えています。スポーツではなくても、「自分を高めたい」と思っている方はたくさんいると思うので、そういった考えをお持ちの方々に対して自分の経験が少しでも役に立てば嬉しいです。
これは言ったら怒られるかもしれませんが、アスリートをしていた時より、今の生活の方が楽しいです(笑)。
アスリート時代は、自分の実力以上のところに挑戦していました。すべてが卓球のため、練習時間以外の時間も卓球のことを考えている感じでした。
今は現役時代よりも交友関係の幅も広がり、いろいろなお仕事に挑戦させていただき、仕事とプライベートの両方を楽しめています。
そうそう、引退して困ったのは、着る服がないことでした。ジャージしか持っていなかったんです(笑)。
現役時代はどこに行くにもジャージ。妹から「真っ赤なミキハウスのジャージでよく新幹線に乗れたね」と笑われます(笑)。当時は全く気にならなかったんです。それくらい卓球に集中した毎日でした。
平野早矢香 私は「日々前進」という言葉を大切にしてきました。センスのある選手はたくさんいました。でも、私はそうではありません。周りの選手と自分を比較すると落ち込んでしまうこともあったので、比べる対象は決して周りではなく、昨日の自分でした。昨日の自分と今日の自分を比べる。「昨日の自分になら勝てるかもしれない」と思えたんです。
昨日より今日。今日より明日と目標を設定してそれを乗り越えて行く。1ミリでもいいから前進する。それは悩み苦しみながらモチベーションを保ち前向きに取り組んでいけるようにと、自分自身の中で辿り着いた考え方です。そのことに気づけて良かったと思っています。そんなお話もしたいと考えています。
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