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昨シーズンで18年間の現役生活を引退した元プロ野球選手の松田宣浩さん(40)。強豪・岐阜の中京高等学校で甲子園を経験し、東都大学リーグの名門・亜細亜大学では主将を務め、プロ入り。福岡ソフトバンクホークス(2005年~2022年)に17年間在籍し、読売ジャイアンツ(2023年)で引退を迎えた。WBCやプレミア12など国際大会の日本代表としても活躍し、“熱男”としてもお馴染みの元気印、講師派遣Speakers.jpの講師 としての活動も始められた松田さんに、野球選手としての半生を振り返っていただき、これからの活動についてお話しを伺った。
(text:高田晶子、photo:遠藤貴也)
松田宣浩 ありがとうございます! 幼少期からプロ野球選手を目指し、念願かなってプロ野球選手になり、40歳まで続けられたこと自体が幸せですね。プロ野球人生の18年間は、自分にとって非常に貴重な時間でした。
実は、プロ野球選手になった当初から「40歳になるシーズンまで現役」というのは決めていたんです。何本ヒットを打つ、何本ホームランを打つなどはあまり意識していなかったのですが、とにかく40歳になるシーズンまでやることだけは決意していました。引退するときに、「もっとやれたのに」「悔しい」「もう1回チャンスがあれば」などと後悔する方もいると思うのですが、僕は恵まれた幸せな野球人生だったので、満足しています。プレイヤーとしてはもう十分やりきったなと思っています。
松田宣浩 プロに入り1年目の秋季キャンプはかなりキツかったです。1時間も2時間もノックを受け続ける練習で、ただキツいだけの練習と思うのは選手としても納得がいかなかった。コーチからは「この練習は1年後、5年後、10年後の自分のみならず、40歳まで現役選手であり続けるための基礎練習なんだ。40歳まで野球をやるぞ!」と説明をしてもらいました。そのときに「長い目で日々の練習をしていくことが必要なんだ」「40歳まで現役を続けよう」と決意したんです。
松田宣浩 僕も1年目のキャンプでコーチに「40歳まで頑張ろう!」と喝を入れてもらわなかったら、この目標は立てられなかったと思います。「40歳まで」が頭にこびりついて離れなかった。僕は人にも恵まれていると思うので、そう言ってもらえたことに感謝ですね。
それと、これは後付けですが、2人の息子たちにも、自分が野球選手として活躍していた姿を見せることができて良かったと思っています!
松田宣浩 ずっと“マッチ”と呼ばれていたのですが、2015年くらいから“熱男”と呼ばれ始めました。というのも、2014~2015年で僕は選手会長をやっていて、2015年のチームのスローガンを「熱男」と掲げたんです。全力でプレーするという自分のプレースタイルにも合っていました。このスローガンをとにかくファンの皆さんに知っていただきたい、広めたいという一心で、ホームランを打った後に、スタンドに向けて「熱男~!」と叫びながら、拳を突き上げるようにしました。そしたら、一気に広まりました。チームのスローガンだったのですが、僕自身の愛称になっていきました。“熱男”は、僕の野球選手としての考え方やプレーを元気に前向きに変えてくれた大事な言葉でした。
松田宣浩 冒頭にも言ったのですが、とにかくプレイヤーとしての野球はやりきったので、今は少し野球から離れています。身体も酷使してきたので、休暇といいますか、充電期間ですね。
現役時代はオフシーズンだとしても、朝起きたときに、自分の身体の状態はいつも気になっていました。でも、今は身体のことを気にすることがないので、楽ですね。それがいちばんの変化だと思います。月曜以外は毎日やっていたウエイトトレーニングもやらなくなりました。
――新しい趣味などを始めたいですか?
松田宣浩 これまで野球中心の生活だったので、基本は家族と何ができるかということを考えます。そこで、ゴルフと乗馬をやっています。ゴルフはクラブの振り方が野球のバッターの打ち方になってしまうので、難しいですね。改めて本格的にやってみたいと思っています。家族で乗馬クラブに行くのも楽しいですよ。
松田宣浩 現役時代は食べることもトレーニングの一環なので、当然3食きっちり食事をしていたのですが、今は動かないので、食事の量が減りましたね。今は、朝コーヒーを飲んだら、夕方まで食べなくてもいいかもと思うくらいです。身体を気遣って、ラーメンは週2回にしていたのですが、それももう考えないでいいと思うと、ストレスはないですね。
松田宣浩 父も甲子園経験者なので、その影響で双子の兄と小学校2年生からキャッチボールを始めたのがきっかけです。小学生の時は軟式野球、中学生になってから硬式野球を始め、兄と二人で岐阜の中京高校に進学するにあたり、滋賀の実家から岐阜での寮生活をすることになりました。寮なので食事は出ますが、洗濯は自分でやります。前日まで母が洗濯をしてくれていたのに、寮生活になってすぐに毎日自分で洗濯をしなくてはならなくなった変化は、いまだに覚えているものです。
松田宣浩 外部の人からそういわれることもありますが、人間関係はそこまで厳しくなかったですよ(笑)。高校も大学もいいチームでしたし、上下関係もまったくなかったです。確かに練習は厳しかったのですが、野球も思う存分やらせていただいたので、恵まれていました。
松田宣浩 そうですね。ただ、大学の授業も受けないといけなかったですし、1日中野球をやっていたわけではないですね。1年生の時から試合に出させてもらいましたし、日本代表にも選ばれていたので、大学4年間をやりきったらプロになろうとは思っていました。
個人の成績の大切さよりも、チームが勝つ喜びを大学時代には学ばせてもらったので、それがプロに入ってからも自分のベースにはなっていると思います。
松田宣浩 ドラフト1位で福岡ソフトバンクホークスに入団させていただき、開幕一軍入りも果たしましたが、アマチュアとプロの違いをまざまざと感じました。このままじゃ到底通用しないかもしれないと思っていたところに、1年目で基礎が大事なんだというコーチの教えを受けて、バッティングや身体作りなどをイチから叩き直せたので、40歳まで続けることができたと思っています。
松田宣浩 やっぱり諦めたらそこで終わりなので、怪我は必ず治ると思って治療やリハビリに励んでいました。必ずまた元いた場所に戻るんだということを強く思い続けていました。
また、自分1人でどうにかしようと殻にこもるのではなく、支えてくれる人がいることに気付くことも重要ですよね。自分の考えだけに固執せず、自分のためを思ってアドバイスをくれる人に頼ることも大切だと思います。自分がわからないことを教えてくれる人、もちろん待っていてくれるファンの方たちがいるということも、辛い時期の自分を奮起させてくれました。
松田宣浩 まずは僕の人生のほとんどを費やした野球に恩返しはしたいと思っています。野球解説や野球評論の仕事は当然やっていきたいですね。それから、野球だけにとらわれずに、スポーツの普及に貢献できる仕事もしていきたいです。スポーツの楽しさややりがいなどを発信出来たらいいなとも思いますし、自分自身がいろいろなスポーツにチャレンジする時間をこれからとっていきたいと思っています。オリンピックの種目は全世界共通で誰もが知っているスポーツだと思うので、特に興味を持って勉強していきたいですね。
松田宣浩 そうですね。いろいろなスポーツの場に呼んでいただけてありがたいです。どんどん新しい場所に飛び込んでいきたいですね。
松田宣浩 僕は“超”がつくほどのプラス思考人間なんです。野球で得たことも、そのなかでやってきてよかったこと、これはよくなかったということ、プロの世界で勝負してみて感じたこともたくさんあったので、講演会やトークショーなどでお伝えしていきたいと思っています。自分の経験や知識、野球界のなかでも“熱く”野球に取り組んできた自信はありますし、野球だけではなく、いろいろな分野でのヒントになることはあるのかなとも思います。
松田宣浩 もちろんどんな方でもウエルカムですし、多くの人たちに話を聞いていただきたいと思っています。野球選手になりたい、自分の夢を叶えたい、困難を乗り越えたいという子どもたちにも、社会で奮闘している大人の方にも話をしていきたいですね、サラリーマンの方や経営者の方に向けた講演会では、経営やビジネスそのものではなく、僕の人生を通した勝負のポイントやチームを率いるコツなどのお話ができればいいと思っています。自分の手で道を切り拓いてきた自負はありますし、プロ野球だけではなく日本代表としての経験もあるので、講演会のテーマによって多岐に渡る話ができるかと思います。
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