1943年、東京都生まれ。66年東京大学教養学部基礎科学科卒業。同年旭化成株式会社に入社、86年ウラン濃縮研究所所長、その功績から90年日本原子力学会特別賞を受賞。この賞を個人で授与されたのは武田先生が初。
その後、93年より芝浦工業大学工学部教授を経て、02年より名古屋大学大学院教授、07年より中部大学教授に。読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」で一躍脚光を浴び、フジテレビ系「ホンマでっか!?TV」の出演でもお馴染み。
現在は、名古屋に居を移している。「名古屋は飲み屋もたくさんあるし、木曽川や京都も近い。東京で生まれ育った私には、ちょうどいいサイズです」と明るく語る武田先生の現在に至るまでの道のりやエピソード、講演で未来を生きる子どもたちに伝えたいことなどをうかがいました。
(text:三宅扶樹、photo:小山幸彦)
“昨日は晴れ、今日も朝”
──東京大学の「基礎科学科」とはどんな勉強をする学科だったのですか?
武田邦彦:もともとは物理学科を作るつもりだったのかもしれませんが、これからの時代は、物理だけでなく、化学や生物も理解できる人間を育成することが目的で今から40年前にできた学科です。私たちが一期生。
どちらかと言うと文系の方が好きでした。でも、担任の先生から「これからは技術者の時代だ」と言われて。もともと私は“これがやりたい”とか“こうしなければならない”とか、目的や目標は持たない。「目指すことを決めてそこへ行く」みたいなことを考えて行動したことは人生で一度もありません。
──失礼ですが、行き当たりばったり、みたいなことですか?
- 武田邦彦:自分の存在自体に意味はないと思っています。私が何をしようと何を考えようと世の中にはあまり関係ないでしょう? 代わりはいくらでもいるわけだし。目の前にある面白いと思うこと、今やっていることにのめり込むんですね。独身の頃、ズボンをはかずにステテコで出かけようとしたことがあって寮のおばさんに注意されました。考えごとしていると他のことは忘れちゃうんだよね(笑)。
──刹那的というか、先生がそういうお考えになったのには何か原因のようなものがあるのでしょうか?
- 武田邦彦:私は身体が弱かったんです。学校もよく休んでいたし、虚弱児童でした。大きな企業の課長だった頃、よく仲人を頼まれて、招待状がくるじゃないですか。その日取りを見てこんな半年先まで生きていられるのかなと考えたりしていました。女房も結婚してすぐに未亡人になると思っていたみたいです。直接的な原因はわからないけれど、サインを頼まれた時の色紙にも“昨日は晴れ、今日も朝”と書いています。今日一日、無事に終わればいいんです。
──そういうお考えというか、感覚みたいなものはずっと変わらないのですか?
- 武田邦彦:42歳くらいからだいぶ元気になってきて、お酒やゴルフもはじめました。でもその後、58歳の時、目を悪くして大きな手術をしました。全盲になるかもしれないと聞かされても動揺しませんでした。この先「死」が本当に近づいたらどうなんだろう、などと考えたりしますが、これも向こうからやってくるものだから自分の手には負えないよね。自分で自分の人生を決めるのは難しいから、何かが自分の人生を変えてくれるのはいいことだ、というのが私のもともとの姿勢です。
自分の話が誰かの役に立つのなら
──先生が講演をされる際、心掛けていることはありますか?
- 武田邦彦:先ほども言いましたが、私は自分には意味がないと思っています。講演でもこの講演を聞いて誰かの役に立つのなら、世の中の人に武田邦彦の話すことが意味のあることならば、と思って話しています。私だけでなく、仕事に対する気持ちっていうのは、こういう考えが正しいと思うなあ。
──「自分のためでなく、誰かのために働く」ですか?
- 武田邦彦:そう。例えば、きゅうりを作っている農家の人は「きゅうりを食べる人は幸せになる」と考えながらきゅうりを作るべきでしょう? 誰かを幸せにするために美味しいきゅうりを作る、という考えは全うだと思いませんか? それで「このきゅうりを食べると幸せになりますよ」と宣伝すれば、きゅうりも売れて自分たちも幸せになる。生物とはもともとそういう原理になっているんです。
──その他、心掛けていることはありますか?
- 武田邦彦:私は資源学者で、石油、石炭、銅鉱山、鉄鉱石などが専門ですが、専門とはその“知識”を持っているということです。その自分の知っている知識 =「本当のこと」を講演では伝えたいですね。聞きに来た方々がそこで初めて知り、そこからその人の考えが広がればそれは聞きに来た方の役に立っていることになる。私の話で幸せな気持ち、幸せになるための行動を起こしてくれるのなら、講演をしている意味もありますよね。
講演のテーマはさまざま
──テレビでは環境評論家として人気の武田先生ですが、他にはどんな講演テーマでお話しされますか?
武田邦彦:ウラン濃縮研究所の所長でしたから、もともとは原子力の話が主でした。そこから広がって「倫理」の話もしていました。最近の話題で言うと「なぜ偽装が起こるのか?」といったような話しです。
小学館から『正しいとはなにか?』という本を出したのですが、現代では何が容認され正しいとされているのか。原子力に向かい合っているときに常に頭にあったテーマでもありました。
有名な話で「フォード・ピント事件」というのが1972年に起こるのですが、これはフォードのピントという車種で欠陥が見つかった。それを販売して走らせると年間5人の死者が出ることになってしまう。その時、フォードはこう考えます。死者1人に1億の賠償金を払ったとして年間5億円、欠陥を修正するのには180億円かかるから、賠償金を支払う方が安いからこのまま走らせようと。
これを「予見される危険」というのですが、この事件によって予見される危険には利益を計算してはいけないという原則が打ち立てられることになるのです。
医療従事者の間では「安楽死」の問題について大いに語ってかまいません。でも、これが患者やその家族の前では、そこに確立された答えがない限りは発言・提示することは許されません。これが倫理(=何が正しいのか)であって、そこには必ず皆の了解が必要なんです。こういう話をしたのは、私が先駆者かもしれません。
──そういうお話をされているとは、意外でした。先生に「環境」のイメージがあるのはテレビの影響でしょうか?
- 武田邦彦:最近は「エネルギー」が中心です。「倫理」、「環境」、「原発」、「エネルギー」という風に講演のテーマも変化しているのですが、最近のエネルギーの講演で話すのは「人間の活動量は、大自然の中では本当に小さい」ということ。使用できるかできないかは別にして、石油は地球上に200万年分あると言われています。
人間の活動量を考えたとき、枯渇するかしないかの答えは自然と見えてきます。だから、先ほどのきゅうりの話ではないけれど、ガソリンスタンドで働く方は心配せず、「ガソリンは使えば使うほど幸せになりますよ」と宣伝すればいいのです。…そういう話をしています。
科学は社会に何を与えるのか
──学校などで子どもたちに話をすることもありますか?
武田邦彦:もちろんあります。いちばん若くて中学生かな。中学か高校が多いです。以前幼稚園にも行ったことがありましたが、この時は保護者向けということになりました。
「科学と社会」というテーマでした。原発をはじめ、科学は時に狂気となり、社会の批判の対象となることがある。でも、物事の側面は悪いことだけということはあり得ない。悪いこともあればいいこともあるし、科学もいいことをたくさんしてきたのです。電気がついたのも車が走るのもみんな科学の成果ですから。
──中学生の反応はいかがでしたか?
武田邦彦:講演後に、生徒会長の男の子が答例を発表したのですが、「今日のお話で、科学は2割くらい間違ったこともしてきたけれど、8割はいいことをしてきたことがわかりました」と読み上げました。正しく伝わっていたことに安心しましたし、立派で感動しました。
中学や高校の時代は地球温暖化がいいとか悪いとか、そんなことは考えなくていいのです。将来、大人になった時に「温暖化とはどういうことで、どうすればよいのか」ということを判断できるようになるために、今は目の前にある勉強をきちんとすることがとても重要、ということを子どもたちに伝えたいですね。国語も英語も数学も理科もみんな大切なんです。TVのおかげで、親しみを持って私の話も聞いてくれるので、こちらも楽しく講演しています。
──今後、講演ではどんなことを伝えて行きたいですか?
- 武田邦彦:私たち日本人は「アメリカやヨーロッパに並びたい」と思ってがんばってきました。高度成長の時代です。それで豊かになりましたね、本当に。所得はアメリカやヨーロッパとほとんど変わらなくなりました。でも、一方でフランス人が長期でとれる休暇は32日、日本人は8日。これが現実です。
これでは何のための高度成長だったのか、わからなくなってしまう。 日本人自身が努力して生み出した豊かさなのだから、実ったフルーツは美味しく食べなくては意味がありません。人生をもっと謳歌すべきです。
大人は「自分の人生をどう送り、自分の子どもたちが幸せになるためには何をすればいいのか」、もっときちんと向き合って考えなければいけません。講演では、その考えるための材料を提供することができると思いますし、そういう話をしていきたいですね。