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活躍後のお立ち台で「キモティーーッ!」と叫び、多くのファンから愛されたG.G.佐藤氏。オールスターファン投票でもトップ当選を果たすほど人気を博したが、人気絶頂の中出場した北京五輪でのまさかのエラーにより人生が一転。その逆境を跳ね退けて引退後はビジネスの分野で活躍している。どんな質問にも笑顔で答えるG.G.佐藤氏に講演に関してのお話をうかがった。
(text:吉井妙子、photo:小野綾子)
G.G.佐藤 父が経営している住宅測量や地盤改良を行う「株式会社トラバース」に入社し、今はその会社の副社長と千葉営業所所長を兼務しています。
千葉営業所の従業員は50~60人ほど。彼らにいかに気持ちよく働き、能力を発揮してもらうかに日々苦心しています。
僕は野球で育ってきたせいか、会社経営はトップダウンよりチームワークを大事にしたい。漫画『ONE PIECE』が理想なんですが、創業者の父とは時々衝突することもあります(笑)
ただ、土木関係は今、人手不足なので、若い人たちに会社を知ってもらい、興味を持ってもらうためYouTubeチャンネルを開設しました。そこで、僕が野球の情報などを発信しています。
引退してからは講演会に呼んでいただく機会も増えましたね。これまで50回ぐらいはこなしてきたかな。
G.G.佐藤 やっぱり「逆境」ものです(笑) 未だ多くの人に、僕が北京五輪で立て続けにエラーを犯しメダルを獲り損ねた記憶があるのか、「逆境を乗り越える」とか「失敗をバネに」というテーマをいただくことが多いですね。
あと僕は法政大学時代にずっと補欠だったけど、プロ野球では活躍できた、そんな僕の野球人生を語ってほしいという依頼もあります。若いうちは陽が当たらなくても、腐らず可能性を追い続ける大事さなどを話しています。
G.G.佐藤 どうしてもプロになりたかったからです。でも、プロ野球からは指名されなかったし、その頃はまだ日本に独立リーグがなかった。社会人野球という道もあったけど、僕はプロに拘っていたのでアメリカのマイナーリーグに活路を見出したんです。
トライアウト(入団テスト)を受けると、日本人で僕一人がフィラデルフィア・フィリーズに合格。ただし条件があって「捕手」としてなら採用すると。僕はそれまで野手でキャッチャーはまるで経験なかったのですが、「できます」と即答しました(笑)
ただ、英語なんてまるでできなかったので、両親は心配していました。僕はこれまで父のアドバイスに従い、中学時代は故野村沙知代さんがオーナーだった「港東ムース」でプレーし、高校は沙知代さんの勧めで桐蔭学園に入学した。他人が用意してくれた道を歩んできた僕が、アメリカ行きは初めて自分で決断したことでした。
多くの人は大リーグというと、華やかな世界を想像するでしょうが、マイナーリーグはまるで違う世界です。そもそも僕は、渡米する機内で「fish or beef」と聞かれ「yes」と答えるような英語力だったので、キャンプ当初は誰とも口をきけなかった。
しかも厳しい実力の世界で、昨日までプレーしていた仲間のロッカーが、今日は空になっていたなんてざら。キャンプ終盤には選手の数が半分ぐらいになっていました。
移動はバス。米国は広いですから、10時間前後揺られてすぐに試合ということもありますし、宿泊は二人部屋のモーテル。食事はほぼピザかハンバーガー。そして給料は10万円程度。今は絶対にマイナーリーグ時代に戻りたくないけど、あの頃はメジャーリーガーになるという夢があったので、辛いとも苦しいとも思わなかったですね。
G.G.佐藤 ラッキーでしたね。長年西武の正捕手だった伊藤勤さんが監督になられたので、捕手に補強枠があった。米国マイナー時代に捕手だった僕に、伊藤さんが指導するという形で入団させてもらえたんです。でも強肩とはいえ、にわか捕手はプロでは通用しない。僕に捕手失格の引導を渡したのは松坂大輔でした。彼のスライダーが捕球できなかった。
それで、僕は捕手ではプロの世界で通用しないと悟ったんです。
ちなみに、マイナーリーグに行くときの代理人がダン野村さん。その頃ダンさんは野茂英雄さんの代理人をしていた関係で、僕が捕手の練習のため球を受けさせてもらったのが野茂さん。全く捕球できず野茂さんには散々怒られましたけど・・・。捕手デビューが野茂さんで、捕手最後のピッチャーは松坂さん。これって凄くないですか(笑)
G.G.佐藤 当時西武にはカブレラ、フェルナンデス、和田一浩さんという不動の強打者がいたので、その一角に入り込まなければ生き残れないと思いました。
それで、理想的なスイングができ、バッティングフォームを言語化できる和田さんから技術を盗もうと、彼のストーカーになったんです(笑) いつも近くにいて彼の言動をチェックし、打撃練習の時は隣に陣取りました。和田さんの食事は独特で、亜麻仁油やえごま、ヒジキなど日本古来の食材を使った料理を口にしていたので僕もハンバーグから古米に。和田さんの完コピです。
その甲斐あって、打撃成績も07年以降は打率が3割前後、本塁打は20本台をキープでき、ヒーローインタビューで「キモティーーッ!」と絶叫するシーンも増えたんです。
G.G.佐藤 オールスターは本当に嬉しかった。ファン投票もさることながら、選手投票で1位というのは、セ・パを通じ多くの選手に認められた気がして有頂天になりましたね。だって、大学の時はドラフトにもかからない、米国マイナーリーグでは3年間冷や飯、そして西武にはテストを受けて入団した僕が、野球エリートの選手たちに認められたんですから。
しかし、人生の絶頂を味わったその1か月半後、奈落の底に真っ逆さまです。北京五輪で僕は3つのエラーを犯してしまった…。
故星野仙一さん率いる日本代表は、日本プロ野球界の「顔」を集めた錚々たるメンバーで、監督自身も「金メダル以外はいらない」と公言していました。
しかし僕は決勝進出がかかった準決勝の韓国戦で2回もミスを犯し、決勝進出を逃してしまった。そして銅メダルを賭けたアメリカ戦でも大事な場面で再びエラーし、日本をメダルなしにしてしまいました。途端に僕の頭は真っ白。チームメイトの慰めなど耳に入りません。妻に「死にたい・・・」とメールを送ったことだけは覚えています。
どれだけ重大なミスを犯してしまったのか自分でも自覚していましたけど、帰国して改めて事の重大さを思い知らされました。新聞やテレビのワイドショーはエラーのEをもじり僕の名を「EE佐藤」と皮肉って報道し、バッシング祭りになっていたんです。僕への非難は甘んじて受けますが、批判の矛先が星野監督にも向かっているのが、僕には耐えがたかった…。
星野監督は、韓国戦でミスを犯した僕を次戦のアメリカ戦でも使ってくれた。コーチには「すぐに挽回のチャンスを与えないとG.G.佐藤がつぶれてしまう」と告げていたそうですが、僕は星野監督の男気も台無しにしてしまったんです。
しばらくして星野監督にお詫びの手紙を書きました。すると人づてに「北京のことは気にするな。これからは自分の野球人生を大切に、一生懸命頑張れ。野球界発展のために、自分のできることを頑張りなさい」という返事をいただきました。
その後、星野さんが楽天監督になり、僕がロッテに移籍した試合の時、ご挨拶に行ったんです。すると星野監督に「今日は落球して楽天を勝たせてくれよ」と冗談を言われ、スッキリしました。僕ももちろん「この試合では絶対にエラーはしません」と言い返しましたけど。
G.G.佐藤 まさしく。もし、あそこでぺしゃんこにならなかったら、その直前のオールスターファン投票で1位になり、天狗になっていたかもしれません。そして道を踏み外し、野球以外のことで奈落の底に沈んでいたかも。そう考えると、北京のエラーは、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたけど、僕自身には良かったのかも。
何より、星野監督の器の大きさに触れることができ、僕も失敗した人にチャンスを与えられるような人間になりたいと思うようになりました。事実、今経営している会社ではそれを実践しています。まだまだ星野監督の男気には近づけそうにないですが…。
G.G.佐藤 直接指導を受けたことはないのですが、中学生だった「港東ムース」時代に、当時ヤクルトスワローズの監督をしていた野村さんが時々お見えになっていろんな言葉をかけてくださった。卒業の時に書いて下さった「念ずれば花開く」という色紙は今でも大事にしていますし、「願い続ければ夢は必ずかなう。叶わなかった人は、願うことを途中で辞めた人だ」など、野村さんがかけて下さった数々の言葉を、今でもはっきりと覚えています。
実は野村さんが亡くなる10日ほど前に、あるテレビの企画で会いに行ったんです。その時に北京五輪の話題になり、こういわれました。
「エラーしたお前の勝ちや。北京五輪に出たメンバーで、誰が世の中の人の記憶に残っている?お前と星野の二人だけや。名を遺したお前の勝ちや…」
北京五輪で受けた心の傷は、その後に懸命にバットを振り成績を残すことで野球ファンに納得してもらったり、星野監督の言葉に救われたりで徐々に癒されてはいましたけど、12年後に野村さんから頂いたこの言葉で、僕はやっと完全に救われたと思いましたね。
G.G.佐藤 野球界広しといえど、この二人に人生の濃い部分でかかわった人はそう多くないと思うんです。僕は野村監督に頭脳を鍛えられ、星野監督には心を磨いていただいた。この二人の考え方は多くの人に共感を得ると思いますし、「リーダーのあるべき姿勢」あるいは「決断の仕方」などビジネスの分野でも大いに参考になると思います。
僕は野村監督や星野監督の考え方や行動規範など多くの人に伝えていきたいと考えています。それが二人に対する僕なりの恩返しかな、って。講演会などで伝えていきたいですね。
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