講演依頼や講演会の講師派遣なら相談無料のスピーカーズ Speakers.jp

松坂大輔 講演会講師インタビュー

「平成の怪物」と称され、野球ファンだけでなく多くの人たちに夢と感動を与えてきた松坂大輔投手。2021年シーズンを持って、23年の現役生活に終止符を打った。これからはアメリカと日本を行き来しながら野球に関わる活動するほか、今後は講演にも力を入れたいという。ドームを沸かせた引退セレモニーの興奮が冷めやらない空気の中お話を伺った。

(text:吉井妙子、photo:小野綾子)

引退を発表してからも、もがき続けた

──今はどんなお気持ちですか。

松坂大輔 10月19日に引退試合、12月初旬には引退セレモニーをやらせていただき、ファンの方々、球団関係者、そして長い間僕を支えて下さった人たちに本当に感謝しています。改めて幸せな野球人生だったと今は感謝の気持ちでいっぱい。

ただ引退直後は取材やテレビの収録が目白押しで自分の現役生活を振り返る余裕もなく、毎日のスケジュールをこなすのが精いっぱいで。年末に米国・ボストンの自宅に戻ってから、家族とゆっくりする中で引退した実感を味わうのかもしれません。

 

──引退試合や引退セレモニーは感動的でした。引退試合では観衆が総立ちで息をするのも忘れたかのように松坂さんの一挙手一投足を見つめ、セレモニーでは王貞治さんや原辰徳さんなど多くの重鎮が功績を称え、イチローさんが花束を抱えて突然登場しました

 

松坂大輔 僕はこれまで日米合わせ377試合に登板しましたけど、引退試合での音のないマウンドは初めてでした。去年のオープン戦で登板したときもコロナ禍の関係で無観客でしたけど、ベンチからの話し声や何らかの音があった。でも、引退試合は真空管の中に入っているような感覚でした。

しかも、スタンドの観客だけでなく、対戦相手のファイターズのベンチ、ライオンズのベンチがみな総立ちで僕を見てくれていました。下手な投球はできないと思ったけど、MAX118㎞で5球を投げるのがやっとでした。

引退セレモニーの時は終盤に、イチローさんが突然球場に現れたのにはびっくりしました。セレモニーではどんなことがあっても絶対に涙は見せないと堪え続けていたのに、イチローさんに言葉をかけられた途端、涙が止まらなくなってしまいました(笑)

 

──注目を浴びてきた選手が引退を決断するのは非常に難しいと思いますが、松坂さんはいつ引き際を決めたのですか。

 

松坂大輔 首の痛みと右手の痺れがあり、20年7月に頸椎周辺の手術を受け、21年の春先にそろそろ試合で投げられそうかなと思いブルペンに立ったんです。その練習の最中、何の前触れもなしに突然、右バッターの頭の方にボールが抜けてしまった。普通ピッチャーは抜けそうだと思ったら、指先の感覚でひっかけたりするんですけど、その感覚がまるでなかった。その一球で、ボールを投げるのが怖くなってしまったんです。

痺れで右手の指の感覚が鈍くなっていて、特に右手の母指球から親指にかけ感覚がほとんどなかった。

ボールをコントロールできなくなってしまった事実は自分でも衝撃的でした。この一球で、もう投げられないかもしれない、って。

 

──球団にはすぐに報告したんですか。

 

松坂大輔 いや、この事実を自分でどう受け止めていいか動揺し、二軍監督だった松井稼頭央さんには「しばらく時間をください」と申し出て、自分の頭の中を整理しようと考えました。

手術を受けてから1年の経過を目安にしていたのですが、投手には致命的ともいえる指先の感覚が戻ってこない。それで、手術から1年後の7月5日に球団に引退の意思を伝えました。

ただ、引退発表してからも、もがき続けていましたね。朝起きて突然首の痛みや手の痺れが消えていたら、引退を撤回してもいいんだろうか、って(笑)。引退試合をシーズンの終わりにしてもらったのも、そんな一縷の望みに賭けていたんですけど、結局良くなることはなかった。

僕はほとほと往生際が悪く、引退試合の前日まで、朝起きて首の痛みが消えていたら、「引退試合をキャンセルできるもんだろうか」なんて妄想していましたから(笑)

でも引退試合で、どんなに頑張って腕を振ってもMAX118㎞だったし、そもそもストライクが入らない。しかもたった5球しか投げていないのに、翌朝は腕も背中も肩も強張って、起き上がれない状態だったんです。

こんな状態だから引退したんだよな、と自分自身スッキリしましたね。

当初は引退試合をするのには躊躇いがあったんです。投げられるかどうか分からないし、これ以上ダメな姿をさらけ出したくないと思っていました。それでも、多くの人から「最後にユニフォーム姿でマウンドに立つ松坂大輔を見たい」と言っていただき、もうどうしようもない姿かもしれないけど、最後の最後、全部さらけ出して今の自分を見てもらおうと思いました。今は本当にやって良かったと思っているし、そんな機会を与えてくれた西武ライオンズに感謝しています。

 

 

落差の大きい喜びとどん底を味わった

──そのダメな姿が却って多くの人たちを感動させました。ここまで遣り切った松坂大輔はやっぱり凄い、って。

 

松坂大輔 僕は往生際が悪いだけなんだと思います。08年に肩を痛めて以来、故障続きだったのですが、こんなに長くケガに苦しむとは思っていなかった。治療やリハビリをキチンとやれば必ずマウンドに戻れると信じていました。それに身体の痛みなんて、僕らアスリートは多かれ少なかれ誰もが感じていることなので、それほど深刻に考えていなかったんです。

手術も肘、肩、首としましたけど、メスを入れるたびに、リハビリを万全にすればマウンドに戻れると信じていましたからね。

諦めの悪さの原点はやはり、98年の夏の甲子園でPL学園に延長17回を9-7で勝った試合ですかね。シーソーゲームの中で後半は力尽きそうになりながらも、250球投げ抜くことが出来た。体がどんなにしんどくても、心さえ折れなかったら必ず目標に辿り着けると体得したんです。

だからプロに入ってからも厳しい試合や負けられない闘いは幾度となくありましたが、諦めずに立ち向かうことができました。

また、プロ選手である以上、結果を出さなければ批判中傷はつきもの。批判を受けるたびに、マウンドで跳ね返してやるとそれがモチベーションになってマウンドに立ってきましたけど、最後はそれを跳ね返す力も残ってなくて、心が折れてしまいましたね。

 

──松坂さんは日本シリーズ優勝、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)2度優勝2度MVP、レッドソックス移籍1年目でワールドシリーズ優勝など、誰もが成しえなかった高みに立つ一方で、現役後半の13年間はケガにもがき苦しんできました。

 

松坂大輔 僕ほど落差の大きい喜びとどん底を味わった選手は少ないんじゃないですかね。

23年間やらせてもらえた中で170勝しましたけど、ほぼ最初の10年間で積み重ねた数字。通算150勝が2010年ぐらいだったと思います。肩の状態はもうよくなかったけど、そこからさらに上乗せできると信じていました。

ただ、今振り返ると08年に肩をケガして以降は負のスパイラルに陥っていましたね。本当は投げられる状態じゃないのに、痛み止めの注射

を打ちながら登板していたので、結果的に体には相当負担をかけることになってしまいました。

怪我してからの13年間は、肩を庇って投げ続けて股関節を痛め、股関節を庇っていたら今度は肘を痛めてしまった。11年に米国でトミージョン手術を受け1年後には復帰できたのですが、痛みは残ったまま。そして肘を庇って今度は肩や首を痛めるという、その繰り返し。いわゆる負の連鎖です。

日本に帰国してからのソフトバンク、中日、西武の7年間は、期待に応えられず本当に申し訳なくて・・・・。この悔しさは引退試合やセレモニーが感動的だったからと言って消えるものではなく、僕は一生背負っていくつもりです。

 

──それでも松坂さんが球界に残した功績は大きい。プロ1年目から3年連続最多勝を挙げて高卒選手のポテンシャルの高さを見せ、後にダルビッシュ有や田中将大、大谷翔平選手らが活躍する道を開いたし、07年からレッドソックスに移籍し活躍したことで、大リーグが日本人選手を多くスカウトするきっかけにもなりました。

 

松坂大輔 そうですかね…。僕は子供のころからアメリカでプレーしたいとずっと思っていたけど、中学3年だった95年に野茂英雄さんがメジャーへの道を開き、本当に行けるんだと心躍ったことを鮮明に覚えています。自分のやってきたことが、もし誰かのために役立っているなら、こんなに嬉しいことはないですね。

 

 

目標への近道は小さな目標をコツコツ積み重ねること

──濃い人生を過ごしてきた松坂さんの講演を多くの方が聞きたいと思います。どんなことを語れそうですか。

 

松坂大輔 僕からは何とも・・・。ただ、野球人生には目いっぱい取り組んできた中で、大きな喜びと挫折の両極端を経験しているので、多少の壁にぶつかっても折れない心は持っていると自負しています。いただいたテーマに沿って、その都度考えてみるという感じですかね。

それと、13年間もケガで苦しみ、アメリカと日本で最先端医療も受けてきているので、医療に関しては多少思うことはありますね。アスリートの方々にも自分の経験から、ケガとの向き合い方も伝えたいと思いますし、スポーツ障害について医学界の人たちとも話をしてみたいです。

まあ一番は、野球の魅力を伝えていくチャンスをいただければと考えています。

 

──子供たちにはどんなことを。

 

松坂大輔 小さな目標と大きな目標の二つを同時に持つ大切さですかね。小さな目標を一つずつクリアしていくことによって大きな目標を達成できる。小さな目標をコツコツ積み重ねていくことが、実は大きな目標を達成できる一番の近道でもあるんです。僕もそうやって道を切り開いてきました。すぐに結果は出ないけど、地味なことの積み重ねの先にしか成功はないと伝えていきたいですね。

 

──貴重なお話、ありがとうございました。

 

 

 

 

相談無料! 非公開の講師も多数。
お問い合わせください!

Speakersでは無料でご相談をお受けしております。
講演依頼を少しでもお考えのみなさま、
まずはお気軽にご相談ください。

講師を探す

ページトップへ