曽野綾子氏は1931年東京生まれ。
聖心女子大学在学中に「新思潮」の同人になり、1953年同人の三浦朱門氏と結婚。
翌年『遠来の客たち』が芥川賞候補に選ばれ、その後『神の汚れた手』『天上の青』
『貧困の僻地』等、小説、エッセイ、ノンフィクションと多数の作品を発表し続け、
近年では『老いの才覚』がミリオンセラーとなり話題に。
また、1979年ローマ法王庁よりヴァチカン有功十字勲章、1993年恩賜賞・日本芸術院賞、
2003 年文化功労者となるなど、海外邦人宣教者活動援助後援会代表や日本財団会長を
歴任するなど、社会活動にも精力的に取り組んでいらっしゃる方です。
著書では、ご自身が経験されてきたご自身の両親が不仲で離婚されたこと
(父親が暴力を振るい、母子心中されそうになったり…)や、多感な頃に戦争(東京大空襲)を
体験されたことを綴っています。
地獄の様な戦渦に巻き込まれ、恐怖の体験をした曽野氏は、平和な時代に生きている私などとは、
恐怖とか不幸などの基準が全く違い、そこは、何か余裕の様なものさえ感じます。
人生は『想定外』が当たり前。期待すればするほど不幸になる。
子供の時から、この世の特徴は、思い通りにいかないところだと感じていました と書かれています。
人生が素晴らしいのは、予想通りにことが進んだからだではなく、
むしろ予想されないことの連続だからこそ、すばらしい。
意図しなかったことではあるけれど、それなにりに意味があったのだ、ということを発見できたら、
その人は「人生はすばらしい」と言える成功者なんです。
こちらの部分が特に印象的でした。
他にも、考えさせられる言葉がたくさん綴られていて
「闇がなければ、光はわからない。」
「自分にないものの数を数えずに、あるものの数を数えなさい」
「私たちの望まぬ試練が、私たちを強める」
嫌なことがあった時、誰かに責任を転嫁したりするのは何の意味もなくて、
まずは起こったことをあるがままに受け入れる。
嫌なことからも、何か得るものがある、という心境にもなるような気がします。
人生の大先輩から出てくる言葉には、厳しいけれど、説得力があります。
自分が持っていないものばかりに気を取られると、持っているものに気づけないのですね。